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現役栄養士インタビュー(1) 病床の祖母の一言がきっかけで栄養士に

    2019.11.20
    現役栄養士インタビュー(1)  病床の祖母の一言がきっかけで栄養士に

    現役栄養士インタビュー

    大阪栄養士ナビのインタビュー第6弾をお届けします。

    今回は現在大規模デイサービスに勤務されている管理栄養士のT様
    これまでと現在のお仕事について伺いました。

    管理栄養士の資格を保有しながら、調理業務がメインになってしまうことのギャップに悩んだことや
    大規模施設ならではの大量調理について、その大変さとやりがいについて語っていただきました。

    インタビューは全5回に分けて公開予定です。

    T様インタビュー第一回:病床の祖母の一言がきっかけで栄養士に

    第1回の記事では、T様が栄養士を目指したきっかけと
    新卒で就職したクリニックでの少し変わった経験についてお話いただきました。

    病院・学校・施設など、様々な場で活躍する栄養士。
    栄養士として働く人たちの生の声をお届けいたします。

    ―――まず始めに、自己紹介をお願いします。

    はじめまして、Tと申します。28歳です。大学卒業と同時に管理栄養士の試験に合格しました。一度の転職を経て現在の職場は現在4年目です。私の体験談がこれから進路を決められる方々への参考になればと思います。

    ―――管理栄養士になりたいと思ったきっかけは?

    私が栄養士の仕事を知ったきっかけは小学生の時でした。
    小学生の私に今は亡き祖母が「○○ちゃんは栄養士が向いてるんじゃない?」って言ってくれました。
    栄養士なんて初めて耳にする職業だったのでどんな仕事なんだろうと気になって図書館で調べたことを思い出しました。
    調べたら食べ物で病気を治したり、健康にする仕事と書いてあってコックさんじゃなくても食べ物に関わる仕事ってあるんだということと、お医者さんじゃなくても薬じゃなくても食事で病気が治ることもあるんだということに驚いたことを覚えています。

    ―――小学生の頃に栄養士というお仕事を知ったのですね。

    はい、ですが中学生になった私は栄養士のことなどすっかり忘れて進路はとりあえず高校になってから考えればいいかと思って過ごしていました。
    それから1年。中学2年生のことです。
    修学旅行を数日後に控えていて楽しみにしていた私はいつものように帰宅すると母からおばあちゃんが食欲がなく、痩せていくばかりだったので入院することになったという話を聞き、すごく驚いてしまいました。
    つい1か月前には旅行に行っていた話を聞いていたのでこんな急なことがあるのか?と思ってびっくりしました。
    そんな不安を抱えつつ修学旅行の日を迎えました。
    旅行先は京都だったので神社で祖母のために健康お守りを買って帰ったことを覚えています。
    無事に地元に到着して母に迎えに来てもらった車の中で「おばあちゃんガンなんだって。手遅れかも。」という言葉が衝撃的で今でも忘れられなく耳に残っています。
    修学旅行の思い出より、この帰りの車のことを思い出されます。
    後日祖母のお見舞いに行き、お守りを渡しました。
    どうにか治ってほしいという気持ちが強くて「これできっと治るよおばあちゃん」と言ったらにこにこ笑ってくれました。
    そこにちょうど食事が運びながら食欲はどうですか?少しでも食べると元気出ますよ。と優しく声をかけてくださる栄養士さんが来ました。
    この時に初めて実際に働かれている栄養士さんを見ました。
    その姿がとてもかっこよくて優しくて。食事で人を元気づけることができることに感動しました。

    ―――実際に働かれている栄養士さんの姿に感動したということですね。

    栄養士さんが戻られた後、祖母はまた私に「○○ちゃんは栄養士さん向いてるんじゃない?」と言ってくれました。
    「昔も言ってくれたよね。私もさっきの栄養士さんの姿見てたら栄養士になりたくなったよ」と答えました。
    それからみるみるうちに祖母は痩せていき、話すこともままならなくなってしまい、入院してからわずか2か月で亡くなってしまいました。
    栄養士のことを話したのが祖母との最後の会話でした。
    そんな祖母のためにも栄養士になることを決めました。それから数年後、管理栄養士の試験に合格しました。
    祖母に直接伝えたかったなっていう思いが真っ先に浮かびましたが、ぜったい天国で見てくれているだろうと思いました。
    私を栄養士にしてくれた祖母にすごく感謝しています。

    外来患者様に宅配弁当をお勧めして客層を増やし、私が入社してから弁当の受注が多くなりました。

    ―――大学を卒業したあと初めて就職された職場について教えてください。

    大学を卒業と同時に管理栄養士の免許を取得し、クリニックに勤務しました。
    クリニックでは外来患者様への栄養指導とクリニックに併設しているデイサービスへの食事の調理も行っておりました。
    さらにこのクリニック。医院長の奥様が株式会社を立ち上げ、近隣のお年寄りへの健康弁当作りも手掛けており、私はこちらにも所属しておりました。
    お弁当の開発・調理・配達まですべてわたしが携わっていました。
    また、地域のお祭りに店を出店したり、地域の皆様とも接する機会が多くありました。
    栄養指導に関しては肥満の方や糖尿病の方の指導をすることが多く、人のお話を聞いたり、相談を受けることが得意な私にとってはすごく楽しい仕事でした。
    患者様を食事の面からサポートすることで健康への一歩になるとおもうとやりがいを感じました。

    ―――やりがいの多い職場だったんですね。主なお仕事は栄養指導ですか?

    栄養指導は週一ですのでそれ以外はパートのおばさんたちと一緒にデイサービスとお弁当の調理をしました。
    私は調理の経験があまりないまま入社したため調理業務に少々戸惑いました。
    忘れもしない入社初日のことですがいきなり一人のおばさんに揚げ物をやるように言われました。
    揚げ物なんてろくにやったこともなかったのでびっくりしてしまいました。
    できないとも言えず、いじめかと思いましたが(笑)頑張って揚げました。
    おかげでその日は気持ち悪くなってしまいました。

    ―――それは大変でしたね!

    宅配弁当に関しては外来患者様に弁当をお勧めして客層を増やし、私が入社してから弁当の受注が多くなりました。
    低カロリー弁当と日替わり弁当を毎日数種類作っており、食の細い高齢者や糖尿病の患者様には低カロリー弁当をお勧めし、食欲のある方には日替わり弁当をお勧めしました。
    弁当の知名度が広がり、近くの会社からも受注の連絡が来るようになったときはうれしかったです。
    高齢者の一人暮らしの方は非常に多く、みなさんから感謝の声をいただけました。
    また、県主催の食育のイベントで弁当を出品したこともあり、栄養計算しながら食材を微調整してイベントの趣旨に合う弁当を考えました。
    弁当が完成したときは本当にうれしかったのを覚えています。
    もうひとつ印象に残っていることは刑務所から受注されたおせち料理づくりです。
    なんと800食ものおせち料理を作りました。作るのも大変ですが発注するのも大変でした。
    そして詰める作業に関しては職場で仮眠し徹夜で作業に追われたことを覚えています。

    第2回クリニックから大規模デイサービスへの転職