・栄養士として働いて思い出に残っている事や辛かった出来事
栄養士として働いた10年間で経験したこと
栄養士として働き出してから10年が経ちました。
10年というと一般的に中堅クラスになり、新人さんに仕事の説明をする後輩指導や上司から仕事を任されることが増えてきたりなど色々と負荷がかかってくるポジションになります。
栄養士としての10年で楽しかった思い出や辛かった出来事などいろいろな経験をしてきました。
どんな仕事も働いてみないと仕事の本質はわかりません。
だからこそ、栄養士なら誰もが経験することを紹介しましょう。
栄養士あるある!~職場環境編~
栄養士として働いて一番感じたことは、『栄養士だけでは仕事できない』でした。
学生の頃の私は、勉強した知識を生かして栄養管理だけをすればいいと自惚れていたのかもしれません。
そんなひよっこだった私に、同僚の栄養士や調理師、医師、薬剤師、看護師などほかの職種との関わりが大切なんだとわからせてくれたのがこの10年という経験です。
栄養士と栄養士の関係
私はこれまでに、病院、老健施設、保育園の3つの職場を経験してきました。
私たち栄養士は、栄養管理をするという根本的な目的は同じです。
しかし、職場によって求められるレベルが異なります。
食事を提供する対象が病気を患った患者さんなのか、体は元気だけどご高齢のおじいちゃんおばあちゃんなのか、食べ盛りの園児なのかで工夫の仕方が違います。
学校を卒業して間もない私や職場を変わったばかりの私がすぐ通用するわけもありません。
先輩栄養士にその職場の仕事を教わるだけでなく、食事をおいしく楽しく食べることができるような細かなポイントを教わることで早く仕事に慣れることができました。
逆に私のこれまでの経験を新たな職場に導入することもありました。
栄養士は持ちつ持たれつの関係を築いていく必要があります。
調理師は栄養士にとってなくてはならない存在
栄養士というとよく誤解されることが多いことがあります。
それは、『栄養士だからご飯作るの上手なんでしょ?』です。
栄養士になるには調理は欠かせない要素であることは否定できない事実です。
ただ、栄養士にも得手不得手があるんです。
実際、栄養管理や献立作りは得意でも調理は・・・、という栄養士もいます。
病院や老健施設など規模が大きくなると栄養士だけでは調理しきれません。
そこで、かわりに活躍してくれるのが調理師さんです。
調理師さんは、読んで字のごとく調理が専門なので、私たち栄養士より料理が上手な人が多いです。
私たち栄養士は患者さんや利用者さんに栄養指導や栄養面談を行って、より食事を食べやすくなるような工夫をしたり、その栄養管理の必要性を伝えるといった仕事もしています。
栄養士が調理に追われていたら、患者さんや利用者さんに会いに行く時間を作ることもままなりません。
栄養士と調理師は、お互いの得意分野をうまく分けることで仕事を効率よく進めています。
栄養士と他職種の関わり方
栄養士は、栄養分野の知識だけを勉強しているわけではありません。
病気や薬のことをわかっていないと必要なものをメニューに入れる、いらないものの代わりを考えるなど献立を作ることが出来ません。
でも、正直なところというと・・・、病気も薬も専門家である医師や薬剤師には知識で勝てません。
病院には、栄養サポートチームといったいろいろな職種が連携して栄養管理をするチームがあります。
ここでは、お互いの専門分野を生かしてみんなで介入できますが、食事の栄養管理は私たち栄養士の専売特許です。
チーム医療をしているといっても医療に対する貢献度が少ないと自信を持ちきれない栄養士もいます。
医者や薬剤師から専門分野の栄養について質問を受けると、栄養士の必要性を実感することができ、ぞわぞわっとした感覚になります。
チーム医療に携わるからできる貴重な経験だと思います。
栄養士として10年働いた私が辛かった出来事
栄養士として働いていれば良い経験ばかりではありません。
小さなミスからひどく落ち込んだことも少なからずあります。
良い話ばかりだと説得力がないと思っているので、ここでは私が経験した失敗談を紹介します。
患者さんから浴びせられた言葉
私が病院で働いていたときの話です。
その患者さんは、国から難病指定されているある病気の治療で入院されていました。
この難病は、食事が腹痛や吐き気に大きく影響してくるもので、小麦や米などを制限したアレルギー食と言われるものを試しに来ていました。
小さい子供が小麦アレルギーでパンを食べることが出来ずに泣いているのをよく見ることがあります。
食べ物アレルギーは生死にかかわるので、保護者の方にもしっかりと栄養指導をさせてもらっていますが、この難病は、原因のアレルギー物質がわかりにくいのが特徴でした。
そのため、1食品ずつ除去した食事を摂ることになりますが、1日に必要なエネルギーを取らなくていいわけではありません。
小麦を食べれない代わりに芋などで補う食事をするとみなさんが思っているよりとても多い量を食べなくてはなりません。
その結果、楽しみであるはずの食事が苦痛になってしまうのです。
いろいろな制約が設けられるなかでどうにか食事が苦痛にならないようにいろいろな工夫をしますが、この工夫が患者さんの希望に沿っているかは正直わかりません。
『この調理法はやめてっていったでしょ』、『なんでこの食材を毎回出すの?』などと怒られることもしばしばありました。
この時ばかりは、栄養士としての力不足を感じて落ち込んでしまいましたね。
長い食事療法をして無事に退院されましたが、患者さんからの本音はとてもやりがいになる反面、強く胸に突き刺さります。
素直な子供の行動
子供は3歳を過ぎると食事に好みが出るようになってきます。
これは、保護者の方の離乳食から始まって自宅の食生活や外食の頻度などが大きく影響してきます。
一度おいしいものを覚えてしまうと欲してしまうのが人間です。
おいしいものが食べたいという欲求は一番素直な考えだと思います。
嫌いなものを食べる理由が体にいいからというのは、大人には通用しても子供にはなかなか伝わりません。
嫌いなサラダが給食に出た時、先生が『みんなで食べようね』と促すと、『ヤダよ!』といってサラダを掴んで投げてしまった園児がいました。
給食室にいた私は、その一部始終を見ていませんが、先生と一緒に謝ってきた園児から、『食べ物を粗末にしてごめんなさい』と言われた私は怒りではなく、『おいしく作ることが出来なくてごめんね』、『もっとおいしそうに作ればよかったね』と自分を責める気持ちでいっぱいになりました。
子供はとても素直です。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
だからこそ、『全部食べたよ~』の一言がとても嬉しいんです。
これは私が栄養士として7年目の時の話になりますが、今後も慢心せずに常においしい給食を作りたいと思います。
同期とは違う???
私の最初の就職先は、とある企業でした。
それなりに大きい企業だったので、同期の栄養士と1か月間合同研修がありました。
近くの県から同期入社の栄養士が集まるので、大学・専門学校の違いや出身地などいろいろ話すことが出来たのでとても楽しかった思い出です。
研修は都心の方だったので、毎日スーツを着てオフィスレディーの様にビル街を歩いたときは憧れが1つ叶ったと喜んだものです。
研修が終わってそれぞれの地域に配属になりましたが、私だけ配属がとても田舎の病院になってしまいました。
ここからは推測になりますが、私の出身県にあるその病院はとても田舎で人気がないことで有名でした。
地元出身ということで配属になったんだなと思い込むしかありませんでしたが、同期のみんなは研修があった地域の病院に配属になったりしているのをみると不満しか残りません。
しかも全く知らない土地です。
実家から3時間くらいかかる距離でしたが、毎週かえって愚痴ばかりこぼしていました。
こればっかりは仕方のないことかもしれませんが、大きな企業に就職する時は、希望をしっかり伝えておくことが重要です。
最後に
憧れていた職業でも働いてみないとその実状はわかりません。
これから40年以上勤めていくかもしれない一生の選択をするのに前情報が何もないと厳しいのが事実です。
今回紹介した内容は、私が栄養士として10年間働いてきた紛れもない事実のほんの一部でしかありません。
だからこそ、すべての栄養士が同じ経験をする可能性があります。
是非、今後の参考にしてみてください。